賢い人々というのは、考えられる限りの予測をした上で行動を決めるものかもしれませんが、なんらかの夢を描き故郷を離れて暮らす人々の全てがそうではないように、私も実際に経験するまで自分の頭の中でシミュレートしたことはありませんでした。故郷に残した親の事を全く考えなかったわけではありませんが、事が起これば起こったで、その時にまた考えればいいという程度の、自分中心の青春期を送ったわけですが、その自由を与えてくれたのは他でもない親達です。
いつか帰ってくると心の中では思いながらも、就職すれば暮らしの場もそう遠くない場所を選ぶのが当たり前なので、勤めていようが自営をしていようが、なんらかの見切りをつけなければ故郷へ帰る機会は逸してしまう人が殆どだと思います。
友達の中には、早々に見切りをつけて親が待つ故郷へ帰った人もいました
が、聞かされた自宅介護の話はとても笑えないものでした。志半ばで仕事を捨て、親の面倒を看る決意をした友達のやさしさはとても真似できないし、尊敬しながらも、本当にそれでどちらも幸せなんだろうかという疑問が私の胸にはありました。
独りになり、誰もいない家の中で誰ともしゃべらずご飯を食べ、風呂に入り、床についているであろう親の事を思うと、なんて酷い奴だろうか自分は...と、情けなくなる事もありましたが、ただ、故郷の方角に向かってごめんとつぶやくばかりで、月日が流れて行ったのでした。
母が暮らす地区にある地域包括支援センターの方から、もうお金の管理も出来ていないとの知らせを受け、通帳の管理も息子さんがされてはどうですかと言われたので、母を連れて郵便局へ行ったのですが、郵便局長さんが出てきて事情を聞いてくださり、「息子さんに帰ってもろたらどうなんって私が言ったことがあるんですけど、息子は忙しいから私は我慢するんってお母さんおっしゃってね。」と言われた時に、それまでこらえていたものが溢れ出してしまいました。
子に対する犠牲をいとわなかった親と、自分の自由のために親の犠牲に目を閉じていた自分の姿は、どうかすれば自身の人生までも否定しかねないほど辛いものでした。
人はよく順繰りだと言いますし、自分は自分の子供に同じようにしてあげればそれでいいのだとも言ってくださいます。確かに、子育てにしろ生き方にしろ、後から学んだ事はあるにしても、自身が親からしてもらった事や、教えられた事が根底にはあるのです。でも、いくら考えても、子育てとか子への愛情に関しては、親のレベルに到達するなど到底不可能だと思いながら、子を送り出した2015年の春でした。
親を独りにしておくという事で、極めて現実的な話をするならば、家を訪れるセールスの餌食になってしまうということがあります。こればっかりは、本人に気をつけるように言っていても、それを上回る心理作戦で様々な物品を買わせている現実。詐欺にこそ引っかかってはいなかったものの、独居老人の支出入は、知らぬ間に手遅れになってしまうという事を知りました。

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