お母さんを数年前に亡くした一人の友達が、「俺は母親にはもう会えないけれど、お前はまだいるんだから幸せやぞ。」と言ってくれたのですが、母恋しさ的な感覚をあまり抱いたことのなかった私にとって、そんな言葉にできる友達のことが意外だったのと同時に、いい奴だと思ったのでした。
同世代の仲間が集まれば親のことを心配する話ばかりで、お互いそういう年齢になってしまったなと誰も皆笑っているけれど、一人暮らしをさせているよりは施設の方が安心だろうっていう気持ちは同じです。
時折、遠い過去と最近のことが重なり合って、まるでタイムスリップしたような話をすることはあっても、それ以外は今のところ大丈夫な母は、またそのうち一人で気楽に暮らせるようになるかなって言っていたので、他人様に気兼ねをしてしまう施設での暮らしはいつまでも続かないと思っているようでした。
本気で嫌だったら出ればいいと私も言ってありますけど、地域包括支援センターの方や、施設に勤務しているプロの方達の説明や、ネットで調べているうちに、認知症というのは進行を遅らせることは出来ても、元のように回復するというものではないと知ったのですが、例外ってないものでしょうか。今は私のことも家族のことも、近い親戚のことも全て認識できているけれど、いつか私が訪ねても「あんた誰?」って言われる日が来るのかなって思うと、それは少し寂しい気もします。
色々なことがわからなくなってから尚も生きられるとしたら、それは本人にとって幸せなことかもしれないけれど、遅くに出来た自分の子供にとっては、今となればその年齢差が良かったのではないかと思える私です。我が子との年齢差が大きければ、先で余計な心配をする期間が短いか、心配などしないまま人生を歩むことが出来るように思うからですが、一人きりの我が子がそのことをどう思っているかは知りません。
そういう自分だって、親の老いについてなど想像すらしなかった青春時代を、今我が子は生きているのですから。
願わくば、せめて今ぐらいの状態ででも母には長生きしてほしいとは思っていますが、先だった父や姉達は、どう思っているのだろうかとふと考えてしまいました。亡くなる前、父は私に、「母ちゃんのことは頼んだぞ。」と言ったけれど、今のような状況になった時に、どうするのが一番いいのだろうかと仏前で問いかけてみても、何も言葉は聞こえませんでした。
人の魂って死んでからもずっと残るものだろうか...それとも何もかも消えてしまうのだろうか...などと考えながら帰った日のこと。
同世代の仲間が集まれば親のことを心配する話ばかりで、お互いそういう年齢になってしまったなと誰も皆笑っているけれど、一人暮らしをさせているよりは施設の方が安心だろうっていう気持ちは同じです。
時折、遠い過去と最近のことが重なり合って、まるでタイムスリップしたような話をすることはあっても、それ以外は今のところ大丈夫な母は、またそのうち一人で気楽に暮らせるようになるかなって言っていたので、他人様に気兼ねをしてしまう施設での暮らしはいつまでも続かないと思っているようでした。
本気で嫌だったら出ればいいと私も言ってありますけど、地域包括支援センターの方や、施設に勤務しているプロの方達の説明や、ネットで調べているうちに、認知症というのは進行を遅らせることは出来ても、元のように回復するというものではないと知ったのですが、例外ってないものでしょうか。今は私のことも家族のことも、近い親戚のことも全て認識できているけれど、いつか私が訪ねても「あんた誰?」って言われる日が来るのかなって思うと、それは少し寂しい気もします。
色々なことがわからなくなってから尚も生きられるとしたら、それは本人にとって幸せなことかもしれないけれど、遅くに出来た自分の子供にとっては、今となればその年齢差が良かったのではないかと思える私です。我が子との年齢差が大きければ、先で余計な心配をする期間が短いか、心配などしないまま人生を歩むことが出来るように思うからですが、一人きりの我が子がそのことをどう思っているかは知りません。
そういう自分だって、親の老いについてなど想像すらしなかった青春時代を、今我が子は生きているのですから。
願わくば、せめて今ぐらいの状態ででも母には長生きしてほしいとは思っていますが、先だった父や姉達は、どう思っているのだろうかとふと考えてしまいました。亡くなる前、父は私に、「母ちゃんのことは頼んだぞ。」と言ったけれど、今のような状況になった時に、どうするのが一番いいのだろうかと仏前で問いかけてみても、何も言葉は聞こえませんでした。
人の魂って死んでからもずっと残るものだろうか...それとも何もかも消えてしまうのだろうか...などと考えながら帰った日のこと。


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