方便

そっくり全てを残したままに出来るような実家のある友達のことを思うと、自分もそうであればと時々考えたりしましたが、それはそれでまた私には見えていない色々なこともあるのでしょう。

生活道具にはその人の使っている姿や、それを見ていた自分の思い出も重なり、どこかしら未練が残るものですが、今回はもう最後だと潔く(もないけど)置いてきました。

それでも、いくつか持ち帰った母の持ち物を見ていると、いつかまた施設を出て前と同じように暮らすつもりでいるその気持ちに応えられないことが悲しく、ただ申し訳ないと思うばかりです。

ゴールデンウィークに入る前の週に、法事で帰省していた従姉妹たちが母に会いに行ってくれたみたいで、その日の電話で、「伯母ちゃん...今はリハビリしてるだけで、回復したらまた帰るんよって言うてたよ。」と教えてくれたのです。なんとなく、早くまた元のように暮らしたいというようなことを前に言ったことがあったので、これはそのうち出られると思っているんだろうなと私も気づいてはいたのですが、そんなことを言いながら目を輝かせている母には「そうやな。」としか言えませんでした。

それが今の母にとって生きる希望であるならば、わざわざ膨らんだその風船を割る必要もないのですから...

だけどそれを思うと時々先のことまで考えてもみます。そのまま施設で過ごしていると、帰ることさえ忘れてしまうのか、それとも意識がある程度しっかりした今ぐらいの状態で、帰れないことを理解して落胆する日が来るだろうかとか。

もう数日もすれば暮らした形跡さえ消えてしまうというのに、「そうそう。また帰って暮らせるよ。」と、子供をあやすように方便を使い、その場をしのぐことが親孝行になるのでしょうか...


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